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退屈は最大の罪である。

                              by スタンリー・キューブリック

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2025/05/11(Sun)07:42

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2009/07/18(Sat)22:56

最近、正義ってことについて考えてます。小さな脳で。

今までのおれは、知っての通りのウルトラ個人主義だったので、

哲学の三大テーマ(真・善・美)のうち、真と美についてはそれなりに考えたことはあったけど、

善く生きるとはなにか!?ってことだけは、あまり考えたことありませんでした。

でも、就活やっていく中で、「働くとはどーゆーことや」と何度も考える機会に遭遇しました。

「会社のために。国のために。社会のために。世界のために。」

みんなESでも面接でも、うまいこと言いよるんですよ。

クゥウウッッッサーーーー。

おれは、そんなこたあ口が裂けても言えませんでした。

でもどっかで、「これから「社会人」になるのに、いままでどおりのエゴ丸だし人間で楽しくやってけんのか」と、やっぱ人のためになんかしてえなあと、思う訳ですよ私も。

じゃあそもそも社会ってなんぞやと。

社会のためって、正義ってなんぞやと、

不思議と考えるように、

なったんですな!!!



社会人になる前に、きちんと社会というものを知らなければ!!と最近は息巻いております。フンッ。






で、正義なんだけど、

「結果」に重きを置くのか、「動機」に重きを置くのか、

で、全然違ってくると思うのです。わたし。




結果がいかにすばらしいか、つまりどんだけ人のために何かが出来たか、だけを考えるのなら、

バングラデシュで植えて死にそうな子供はどうなるんだい、

自分が生きる事だけで必死な、人類の半分以上は、正義を体現し得ないということになってしまう。



次に、動機がいかに素晴らしいか、つまりどんだけ人のためを思っていたか、だけを考えるのなら、

アスベストの会社の人。

つまり、だまされる、勘違い、無知、などでがんばっちゃったパターンはどうなるんだいと。

がんばったら頑張っただけ、エグイことになってしまうよと。




それに厳密に言えば、人類皆ハッピーになれる行為なんて、実は存在しない。

ぶっちゃけグローバルな倫理は存在しない。

知識人のコンセンサス。イッツ真理。まじで真理。

だから、公ってことを考える時には国って単位までだ。と、小林よしのりはおっしゃっています。




自分の子供一人のために頑張った人。

自分の周り100人のために頑張った人。

日本の未来のために頑張った人。

世界の貧困、環境保全のために頑張った人。



この人達の正義度を比べられるのか??????

比べられない以上、正義ってなんだ???????



ああ、自分の出来る範囲でベストを尽くせということか。

それが正義か。

でも、無知のパターンがある。



だから勉強しろと。

考えろと。

それだけは、絶対に正しい。

考えるってことだけは、なんか絶対に正しいと思う。



いいやわたしは考えないってヤツは、ウンコチンコカスメーーーーーン


パヒュン
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