以下、
「左」とは「条理で世界を覆える」立場、「右」とは「不条理に貫かれる事に打ち震える」立場であると定義し、「解放的関心の強い『左』と、条理で条理の限界を見極める『右』は論理的に両立可能」と主張する。
に従う。
昨日、チャットでウンコが「サッチャーが『20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない。』って言ってたらしいよ。」と言ってた。(正しくはサッチャーではなく、チャーチルが言ったとされる都市伝説)
なるほどそうかもなと思った。
義務教育下のガキは、教師や大人の権威に対して疑問を持つことは至極当然だし、イッツ不良でカッコイイとされてるもんね。
反骨精神を築いて、ロックの姿勢で世の中を見渡すことは、自分と世界の関係を考えるときの基本だ。
まずは自分というミクロコスモスに興味を持つ事が出発で、次にそれらの集合体である国家ってものを考えないと、ファシズムに陥っちゃう。
宮台真司も「左翼あっての右翼だ。社会主義勢力がある程度の力をもって初めて意味を持つのが右翼だ。(日本においては。)」って言ってるし。あの小林よしのりも大学時代は全共闘のまっただ中で、ちょっと左翼に走ってた事もあるらしいし。
始めからエラぶって、「世の中アホばっかりだから、統制する手段を考えなきゃ」っていう右翼は、頭でっかちの亀頭野郎じゃ。
もしくは、蔓延した見せかけだけの自由からの逃走。ある意味思考停止。
辺見庸は、人間の内的宇宙や可謬性、感覚とか生理とか、そーゆー不確実性を孕む有機的なものを通して、
小林よしのりは、アイデンティティや大義とか誇りとか正統性とか、そーゆーものをとおして、
人間の尊厳っていうものを考えて、民主主義を守ろうとしてるんじゃないのかな。
っておもった。
そーゆー意味じゃあ、おれは右翼であり左翼だ!!ポン!!!
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