海辺のカフカにて
猛スピードで走るスポーツカーの中で、シューベルトのソナタについて語る大島さんのセリフ
「シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ。
僕だって最初に聴いたときは退屈だった。
君の歳ならそれは当然の事だ。
でも今にきっとわかるようになる。
この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、
飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。
僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きている余裕は無はない。
たいていの人はそのふたつを区別することができない」
いやまさにそのとおりです。大島さん。
音楽も、映画も、ひょっとしたら文学も、
退屈(冗長)こそが、微妙なズレや差異を味わう余地を生む。
そこにこそ、鑑賞者との双方的なコミュニケーションの可能性がある。
ミニマルやドローンは、冗長が鑑賞者に聴取への積極性を与え、浮き上がってくる音像を捉えさせる音楽だ。
退屈が積極性への逆説的なインセンティブになるのかもねーーー。
でも!!
toeは複雑極まりない曲構成で、退屈でもなんでもないのに、おれは毎日聴いてるぞ!!
退屈すらも乗り越えた最強音楽じゃーー。
それと、双方向なコミュニケーションが芸術における重要な条件だということについて、中沢新一は高木正勝の映像/音楽作品を見て、「あなたの意思が映像の全てにかかっていないところがいい。自由を残している。自由が無かったら全体主義のファシズムだ。」みたいなことを言っていた。
鑑賞者が単なる受け手じゃなく、作品に入り込む余地があるものが、芸術なのですな。
浅田彰も、美大の入学式での挨拶で、芸術はコミュニケーションだと言ってましたよ。
大衆音楽という資本の犬のサブリミナル効果で洗脳されて死になオチンチンズめ
ちなみに春樹キライです。
文学とはなにかという問いに、自分で納得のいく答えが少しも思い浮かばないおれが、生意気にも春樹がキライと思う理由ベスト3。
・キザ(クラシックやジャズの知識が豊富だぜ!服飾小物雑貨のメーカーもたくさん知ってるぜ!!ってアピってるようにしか思えない。そもそもアメリカ青春小説っぽい語り口が苦手。)
・エロイ(何の前触れもなく急に性的な描写が差し込まれる。生々しくてきもい。)
・ファンタジー(ハリポタもロードオブザリングもナルニアも大嫌いです。)
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無題
2009/07/27(Mon)01:37
そもそも作品のあり方とかを考えずに、不確定さ(差異、ズレ)を自覚し、不確定さの中に自分を任せてまたそれを産むことこそ重要なのかなって思いますた。
自己表現なんていうのは芸術の中にはないのかなとも思う。詩が読みたいのであって、お前の説明書はいらねーこのオナヌーくそやろうって。
つづきはまたなんか飲みながら。笑
ドローンとかやりたいけど、もう戻ってこれなそう。で怖い。笑
そしてtoeの意見は賛成です。
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