大友良英の映画KIKOEを見て来た。ひとりで。ひまだったので。
最近コトリンゴとかSAKEROCKとかイイワー、ステキ♡とポップに傾倒しまくっているので、ここらでおもいっきりディープなモンを見て感覚を戻そうという思惑だった。
想像以上に細切れにされた映像をサンプリングしまくった映画。説明も物語も一切無く、これのどこがドキュメンタリー!?って感じ。
論理や意味なんて無く、だから解釈なんてできなくて、ボヘーーッといろんなことを考えてた。
そもそも、おれは大友良英の音楽が好きでない。ズギュム!ときたのは、ジムオルークのユリイカ、ONJOバージョンぐらいで、他にも映画音楽やらノイズやらタンテやらテープやらいろいろ聞いたけど、結局なんのこっちゃ。
だから、そーゆーわからないもの見たさっていうか。こんだけ変なことやって、なんでこんなに人気を得ているんだろってすごい思ってて。おれも未知の感動を味わえるようになりたいと思って。それで、映画みたらヒントぐらいはあるんじゃねーかと。
でも結果は映画自体が大友さんの音楽みたいで。グッチャ。
でも、アホの頭でいろいろ考えた結果、スッと腑に落ちる答えが。自分で納得のいく大友良英に対する意味付けが。できた。ような気がする。
結局、自分の中にある何かを表現しようとするというか、自分の方法論、または周りの人との化学反応みたいなものに対して真摯で忠実で。そこに必然性があるというスタイル?
スタジオボイスで、中原マサヤか、佐々木敦が言ってたんだけど、「オルタナであるためには、あらゆる音楽を聴きまくるか。もしくは、全く聴かないか。そのどちらかだ。」って言ってたんだけど、大友さんの場合はザックリ言って後者だと思うのよ。
前者が、まあ坂本龍一だわな。
美術でいえば、杉本博司か、草間彌生か。みたいな。
そーして、内向きのベクトルで音楽を模索しまくった結果が、あーゆーノイズだったり。わっけわかんないインスタレーションだったり。昔の曲のリメイクだったりするんだと思う。
んじゃあなんでアングラでは例えばグラウンドゼロみたく、あーゆー人達の層が、しっかりと出来上がるんだろうか?
結局みんなわけわかんないもんを作りたいひと同士の集まりなんじゃねえかな。
んで客も、さっき書いたおれの気持ちで見に来るんだと思うんですな。
もちろんインプロにも上手い下手はある。でもそれは、内向きベクトルにいかにストイックでいられるか、という基準で測るものだと思う。
とゆー、まあすごい乱暴な解釈で、ひとまずおれは納得しておこう。
菊池ナルヨシの「大友さんはフォークとパンクなんですよ。ぼくにとって。」って言葉がシックリきた。
何度も出てくるphewとへんなドイツ人のエグいインスタレーションが最高に気持ち悪かった。
phewはむりです。
大谷ヨシオが、外が暗くなるまで喋っていたのがウケタ。