前衛音楽、音響派、ノイズの人達は、みんなキチンと音楽にたいする思想を持っている。
というか、そうまでして「音」や「聴取」にこだわるのは、それなりのコンテクストがあってこそのことだし、
ただ垂れ流しみたいに音楽やっている人はいない。
そうした「深い音楽」が新しい音楽の形態を切り開く存在なので、
(ファッションで言うところのモード界)
ポストロックっていうのも、新しさを追求する上では、それと必ず関係してくる。
モグワイたちのドローンは、そうした結合点で生まれた気がする。
でも、今考えたら、彼らのやりたい事がイマイチどうも掴めないのよね。
テクスチャーを省略するところで、初めて「聴取」が浮き彫りになるはずなんだけど、
どうも中途半端なイメージを受けてしまう。「どっちがしたいの??」って。
彼らは、「俺たちの音楽を聴いて、寝るなんてもってのほかだ」って言うんだけど、
「いや寝るよそりゃあw」って思っちゃいます。
だって冗長じゃないですかあ。
それを上手く解釈して、「叫び」を付随させたのが後期のenvyです。
あれはヤバい。
エモーションをどんな形で顕在化できるのかというときに、ドローン、スローコアを取り入れたのは、間違いなかったと思う。
これでもかってぐらい泣ける。
そうした方法論の変更は、みんな意識的でなく、無意識的にやってしまっていることだと思うし、
そうした背景、通底には、「思想」という名の流行があるんだから、無意識も意識も一緒だと思うので、そこはどうでもいいんですが、
「批評」というのは、そうした作品を、より共感するためのある種の「見方」を提示する作業だと思うので、
恣意的な意味付けでは決してない。
というか、これだけ論理的、客観的に述べているのだから、おれの主観ではないよね!!(いや、主観か)
(mogwaiキライなわけではないのよ)
現に佐々木敦さんはスローコアキライーって言ってるし。
でもあまり否定の論拠を挙げないで頭ごなしに一蹴してたから、そこはおれも憤慨した。
調子のんなよ佐々木敦!!!!
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