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退屈は最大の罪である。

                              by スタンリー・キューブリック

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2025/05/11(Sun)02:53

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黒い皇帝

2007/12/02(Sun)14:52





「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」鑑賞。


ポストロックの中でも「スロー・コア」の第一人者である、この映画と同名のバンドが存在するが、この映画にインスパイアされて名前をパクったらしい。



うわー久しぶりにバイク乗りたくなりました。

ぼくがいつも映画とか本とかPCとか音楽とかばっかりやっているひきこもりだから、友達少ないんだろうなーとか思っているヤツ!!!

ぶぶー。不正解。


地元のスケボースノボーチーム「神風」代表です。

よくダチ単車の後ろに乗って、真夜中のバンナグロ街道を100キロで駆け抜けます。

ヘイヘイヘーイ!!!!




んなこたあどうでもいいんだけど、

1976年に作られた、暴走族「黒い皇帝」のドキュメンタリー映像です。

かなり彼らに密着した映像だったので、どうやって撮ったの!?カンジ。

組織とか、リーダーシップとか、カリスマとか、いろんなことを考えました。







まず、集会を取り仕切るリーダーの言動は20歳そこらとは思えないほど、とても説得力があって、カリスマ性に満ちあふれている。

公道で警察となんども口論するシーンがあるのだが、警察よりも彼らの口調の方が論理的で明快だったりして、どっちが大人なのかわからないよwって思った。

この映画から学び取る要素はたーっくさんあるように思う。

っていうか、音楽の入れ方とか、カッコイイし。

暴走族最高!!!!!!!



たぶん現代人は、バイアスだらけのガチガチ人間なので、こんな30年前の映画なんて見ないし。
そこでピックアップされる暴走族の19歳の人間なんてクズだとか思うんでしょうが、

てめえらの方がよっぽどクズです。

度胸、リーダーシップ、発言力、どれをとっても現代のいわゆる普通の人よりグレードは高い。

家族ともシッカリ話すし。エライ。

「昔の暴走族はノータリンで恐ろしい生き物だ」なんてのは、偏見そのものですな。





なんか最近ぼく、バイアスって言葉連発してますが、ホント大事だと思います。

バイアス。

僕は、多分札幌一バイアスの無い人間だと自負しております。

柔軟そのもの。フニャチン。

だから、どんな事に対してもふにゃふにゃに受け止めるし、そこからイイとこだけを抽出してラーニングします。

そういうスライムのような生き方です。



ぼく、北大の人はあまり好きではありません。

まあ北大の人全部を偏見の対象にするのは、それこそアホなんですが、割合で見て、バイアスがやばい。

基本「自分は頭がいい。偉い。」と勘違いしている。

北大に入るようなやつに限って、友達がものすごい少なかったりするんですが、それって人を割と見下しているからだと思うし、なんか柔軟じゃないんですよねー。

ファッションもダサイ。

なにも学び取る要素がない。




それに比べて地元の友達はとっても打ち解けていて、おちゃらけていて、楽しいんです。

頭もいい。




大事なのって、非日常をいかに生きているかだと思う。

「あたしそういうのわからないから・・・」
「僕、そういう人じゃないから・・・・」

ファアアアアーーック!!!!!!!!!


お前ら自分がどんな人間か完全に把握してんの!?!?!?!?!?

コワ!!!!!



ぼくは自分が全く分かりません。

何しでかすかわかりません。ww

まず幅が広すぎるし、深すぎる。

把握しきれません。



人って無限だと思うし、だから哲学者や文学者一人を大勢の人が生涯をかけて研究したりするんでしょう!?!?!?!??

人を動かすのは人にしかできない。

だからぼくは、みんな一人一人無限だと思っています。

「こいつと話していても話すネタがつきる・・・・。」

とかありえないと思います。

一人の人と一生語り続けるとか、余裕だと思います。

少なくとも、しょうとか目田村さんとかトモミとかとはずーーーーーっと話せる予感!!!



はい書き過ぎ調子のりすぎ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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No.135|Comment(11)Trackback()

Comment

無題

2007/12/03(Mon)03:41

ポスト・ロックってのはロック始まって以来、最も恣意的なジャンル分けですよね。

ジャンルなんてどうでもいいんだけど。

ポスト・ロックってこれからの分野ですね。

音のオナニスト的側面と音の開拓者的側面をどう表現者の中で必然的に結び付けるか、ということがポスト・ロックの最大の課題ですね。

トータスがポスト・ロックの代表だと思うのはやっぱりその問題と闘い続けてるからだと思うからです。

ジョン・マッケンタイアが「俺はポスト・ロックという言葉になんらポジティブな要素を見いだせない」だとか「俺たちはただのインストゥルメンタルバンドだ」とか言う発言は、アウトサイダーになりたいアーティストの戯言ではなく、ポスト・ロックというジャンルの難しさをもっとも体言している男の悲痛な叫びとして受け取るべきです。

俺はしばしばロック原理主義者と考えられがちだけど、そしてそれは間違いではないけれど、ポスト・ロックに多大な期待を寄せています。
しかし、さきほど述べた問題をポスト・ロック自身が自覚しなければただの、快楽主義的な音になってしまう。別に快楽主義的な音楽を否定してるわけではありません。

大好きなZepは快楽主義的な側面もあるし。

ただ快楽主義のみでいくとポスト・ロックというある種捏造されたジャンルである意味が、存在する意味が全くないということです。

つっても、へヴィメタの快楽主義の数千倍ましではあるけど。

音に言葉を付加する以外のメッセージ伝達方法の確立をポスト・ロックに期待します。

俺の大好きなシガーロスは中間領域の音楽です。
これは昔書いた論文で、どこにも発表してないけど、端的に言えばこういうものです。

言葉はあるけれど自分たち以外の誰にも伝わらない音楽である。

それはオナニスト的側面も存在しているが、言葉がある、無いの中間に新しい表現方法を見出し、それを必然化する開拓者的側面を持った音楽の創造。

これこそポスト・ロックと呼ばれてしかるべき音楽。

ヨンシー(ジョンジー)のボウイング奏法を聴いて同じボウイング奏法を使用したZepのギタリスト、ジミー・ペイジの「幻惑されて (Dazed and Confused)」を思い出したのは偶然ではなく必然的な通底関係な気がします。

ポスト・ロックがロックであるように、ロックはポスト・ロックであり続けたという示唆。

つまりポスト・ロックの問題点として挙げたものはそのままロックの問題点にもなり得るということです。

ただ一言間違いなく言えるのは、ポスト構造主義が構造主義を消し去るものでないように(結構いるんだよなあ、ここを勘違いしてる人が。それが違うってことはドゥルーズとかデリダ読めばわかるはずだが。デリダによるレヴィ・ストロース批判なんか批判になりきってないことくらい)、ポスト・ロックがロックを消し去ることなんか無いように。

それを今年、ブルース・スプリングスティーンとベイビー・シャンブルズを聴いて思った。

友達と飲み会して三時間後に書いた記事です。酒はなかなか脳を活性化させるんだなあ。

No.1|by メタムラサキ|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)03:44

読みなおすと、なかなか千鳥足な文章なので、がんばってよんでくださいwww

この生の感じがコメントのいいところなのでwww

No.2|by メタムラサキ|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)09:53

ぎゃあ。
こういう話題が通じることに感激しすぎて死にそう。。
目田村サン最高極まりない。
ありがとうございますMAX。

ポストロックはおれが最も興味のあるジャンルで、かつそれでいて定義が曖昧なものなんですよねやっぱり。

それでも、
トータス、モグワイ、レディヘがほぼ同時期に確立したあたらしいロックの形態、だとは確実に言えるはず。ん?そもそもロックって??
トータスはもう本気でブッシュに逆らっていますよね。
反抗精神こそがロックなのかなあ?

でもその三者を皮切りとした、インスト、ドローン、エレクトロニカミックスの形態を主とするポストロックはあくまでも狭義の意味でのポストロックでしかないと思う。おれはもっと広義に捉えて、「00年代の革命家たち」はすべてポストロックに入れて考えようとしているんだよね。
二階堂和美みたいな SSWの人が、スタジオボイス誌で「次世代ロック史を担う注目の40バンド」の一人に取り上げられちゃうぐらいだから。

んで、要するに既存の方法論を打破した音楽形態をポストロックと呼びたいわけですな。


でも、ポストロックも様々なアプローチがありますよね。
クラシック→現代音楽→エレクトロニカ、音響系
っていうのも一つのルーツ。
シュトックハウゼン、ケージ、武満徹もそこに位置するっちゃあ位置するし、彼らが革命を起こさかったら、いまのフェネスとかはいなかったと思う。

ヒップホップ、クラブカルチャーからも、prefuse73ことスコットヘレンを筆頭に、IDMの代名詞オウテカ、ボーズオブカナダもそのへんかしら。
こいつらはカウンターカルチャーであったハズの、CLUB/ROCKを邂逅させるのに一役買ったことはまちがいない。
今は文化が混在して、カオス状態だから、文系の脳でいかに出し尽くされたアイデア同士を結びつけるのかが焦点になるし。どんな文化でもね。

ジャズ方面からは、トータスって言ってもいいと思う。
たぶんジョンは怒らないw
彼らは、目田村サンも言うとおり、ロックっていう言葉を嫌うカンジはするよね。


でも、文章を読む限り、目田村サンは「音楽はメッセージを観衆に届けるためのツール」って言ってるように感じます。いや、思い込みかしら。
でもそういう側面は結構支持しているでしょ??w

「音に意味はあるのか」っていう問いはぼくがずっと考えている問題です。マクロ、ミクロ両方の視点で。

音を音として享受するのは、マクロな考えでは、構造主義的、ポストモダニズム的であるって言っても間違いないと思いますが(ポスト構造主義はいまいちわからんけどw)、ミクロな考え方だったら、大友良英たちの、「音響派」にまつわる問題が関わってきます。

おれは、そういった音は音でしょうと割り切りすぎるのも面白みがないと思うし、逆にバックグラウンドの物語性を重視しすぎるのもいかがなものかと思うんです。

だから、toeの山㟢さんや、battlesのイアンも言うように「悲しいと思って悲しい曲作るのはウソでしょーよ」だと思う。つまり、音は音。でも、感覚的に創出しえた、個人に内在する世界観を無意識のうちに表現してしまったものだと思うんですね。

この駄文参照http://ibuibu69.blog.shinobi.jp/Entry/60/

んー音を音として聴取する究極の形態が音響派だとは思うけど、ぼくはもっとコンテクスト自体につぼります。
変拍子とか、三連スクラッチとか、ポリリズムとかねw

だから、そういった音の組み方で、ぼくを「叫び」の境地に導いてくれる音楽が一番フロウ、トリップできるから、最も好きっちゃあ好きかもw

(今思ったけど、悲しいと思って作った曲でなくても、それを聴いて悲しいと思う事は往々にしてあるんだよね。それってんー矛盾??)

書き過ぎましたね。まあ、音の意味に関しての目田村サンの意見が聴けたらうれしいなあああ。^^

No.3|by イブカヒロキという名のオッパイパイパイパイパイパイ|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)17:38

音の意味ですか。

心に響く音というのは私の中にあるなんらかの不可視の感情を覚醒させ、それを私に認識させる音です。

それは悲しみだとか、怒りだとか断言できるものではなくてカオティックな何かです。

「悲しいと思って悲しい曲作るのはウソでしょーよ」
この言葉は俺の中ではなんの意味も持ちません。
人それぞれというしかないので。絶対的な何かを示唆する発言には思えません。

ただこれを発言した人のつくる音楽を語る時には必須の言葉ですね。

文章を読む限り、目田村サンは「音楽はメッセージを観衆に届けるためのツール」って言ってるように感じます。という発言ですが。

これはおっしゃるとおりです。

しかし、メッセージという言葉が含有している意味は私の場合は世間一般のそれよりも広いです。

それは必ずしも明確な言葉である必要はなく、さきほど述べたようなことです。
つまり私の心の何かを覚醒させる音ということです。
少々わかりにくいですがなんとか汲み取っていただきたいです。

(今思ったけど、悲しいと思って作った曲でなくても、それを聴いて悲しいと思う事は往々にしてあるんだよね。それってんー矛盾??) という発言ですがそれは矛盾ではないと思います。というより芸術の性質上、矛盾と呼ぶべきではないと思います。

芸術の性質上と言いましたが、それはなんでしょうか。

私のブログでも紹介した「限界芸術論」を書いた鶴見俊輔の「誤解する権利」という本にその答えがあります。

往々にして芸術においては受け手と作り手の間で摩擦が、つまり誤解が生じる。そして受け手にはその誤解をする権利があるのだ、ということです。
だから私は矛盾と呼ぶべきでないと思います。

最後に音について少し。

音には意味がありません。子供が机をたたく音に意味はありません。

しかし、人が音を音楽に当てはめると驚異的なスピードでそれは動き出します。

ある必然の川に放り出されたときに魚のように動くのです。

机をたたく音をなんらかの必然的な流れの中に当てはめると美しく動くのです。

ノイズとはその試みだったと思います。波の音、風の音、、、、、。

音には意味がありません、しかし人間が作り出す音の流れにはいみがあるのです。

そしてその音の流れを芸術というのだと私は思います。

長々と失礼しました






No.4|by メタムラサキ|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)22:18

メッセージっていうのは、つまり、おれが言う所の「無意識的、感覚的に自分の世界観を付加してしまう」ってことでしょう???

例えば、知的障害者のある子供が奏でる即興音楽で、瞬時に5度の音階を合わせたり、二拍三連、五連という複合ビートをやっちゃったりする子がいるらしい。

それって理論とかじゃないし、完全に感覚だし。

おれのドラムもそうなんだけどさw即興w



「音は音でしかない」っていう考えもきちんと考えたほうがいいと思う。

(それを「音楽」として規定したから、音楽になる)って側面だけじゃないと思うんだ。

そういう常識の裏を読み取るのが構造主義でしょー?w


おれがソリッドなインストポストロック(ハードコアの延長)がツボなのは、今まで聴いてきた音楽や、もっと言えば育った環境のせいなんだ。

それは、音が単なる音だからこそ、おれは叫べるんだと思う。

そこで、バックの物語性を汲み取って、「あーなるほど。こやつらはこういう事を考えて、こういう事をしたいんだなあ。」って感じるのはウソでしかない。

やっぱり、音楽は、単なる音でしかない。

バックグラウンドを知るのは、音を音として楽しむためにアーティスト達を心底信じる、そしてそいつらになりきる。トレース、同一化、憑依する、ために、バイアスを撤廃するために必要なだけじゃあないかなあ。

「あーコイツらマジでカッコいい。こいつらになりたい!」ってさ。

そうしたら、そいつらが本当に伝えたい「音楽」それ自体を、フィジカルな共感として受け止められるようになるじゃない。

共感。つまり表現者と鑑賞者との、「感動の共有」。

これこそが、芸術、いや文化の本質だと思うんだ。

No.5|by イブカヒロキforめたむら|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)22:49

メッセージっていうのは、つまり、おれが言う所の「無意識的、感覚的に自分の世界観を付加してしまう」ってことでしょう??? という発言に。

ここでイブさんの言うメッセージは私の言うメッセージの可能性の正確に50%です。
残りの50%はこちらが勝手に音としてエモーションを受けたもの。つまりアーティストの物語性などに関係しない音としての音楽からの感動。

ここでのイブさんの最大の勘違いは私の言っていることがさもイブさんの言っていることと違うように私への返答に述べていることです。

もう一度自分の書いた文と私の書いた文を読み合わせてください。

音は単なる音でしかない、というイブさんの話に私の、音楽の流れが矛盾しているとは全く思いません。

バックの物語性を汲み取って、「あーなるほど。こやつらはこういう事を考えて、こういう事をしたいんだなあ。」って感じるのはウソでしかない。という発言ですが、私なりに解釈すると、音が一時的要素で物語は二次的要素だということですよね。
このような書き方をするとイブさんがバックグラウンドを卑下しているとも読み取れるので私が代わりに訂正します。

No.6|by メタムラサキ|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)23:16

そうそう!訂正ナイス!!
基本推敲しない適当な人種でごめんなさい。
人に伝えるっていうのにね!!
「だってコメント欄ちっちゃくて読み返せないんだもん・・・」

っっっっっっていうか・・・・・・ちょっと「勘違い」とかいうワードも危険だぜ!!まあ気にしないんで大丈夫MAXなんだけど。正直、目田村サンも僕の文章の意図をしっかり理解してくれてはいないな・・・と・・・。

ぼかあ文章読み取る能力がチンカスなので、そして書く能力もチンカスなのでしょうがないんですが・・。

バックの物語性を汲み取って、「あーなるほど。こやつらはこういう事を考えて、こういう事をしたいんだなあ。」って感じるのはウソでしかない。

これの「感じる」を「感動する」に変えてくれればOKかと。

そうそう、物語性は、トレースするためにバイアスをなくすっていう二次的要素ではあるね。


残りの50%はこちらが勝手に音としてエモーションを受けたもの。つまりアーティストの物語性などに関係しない音としての音楽からの感動。

だからぼかあ何度も「音は音である」っていうモダンな思想をベースにしてるって言ってるから、その感動の要素も十分すぎるほどに承知していますよ!!!!!

大丈夫!!!おk!!!

なんか、齟齬が激しくなってきたので、ここらで休憩しましょうwww

またおしゃべりしましょうね^^

No.7|by イブカヒロキforめたむら|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)23:50

なんだかめんどくさーい議論してるね。

あーだこーだ言ってないでもっと感じればいいんじゃないでしょうか。

つくった人の思想を知ることも大事だけれどもそれに固執される必要はないと。

難しく考えすぎたら素直に音を吸い込む事ができなくなってしまうよー。

No.8|by いずみやま|URLMailEdit

無題

2007/12/03(Mon)23:55

いや!!!!!!

できるんだよ!!じつわ!!!

音を音として感じるために、バイアスをどんどん取り外す作業なのでw

だってーーー電車で首と腕振ってノリノリの変質者が音を音として感じていないわけないでしょw???

あ、町を闊歩するときも同様に首振ってますw

北大でもw

見かけてもシカトしないで〜〜〜。

No.9|by イブカヒロキforいずみやま先輩|URLMailEdit

無題

2007/12/04(Tue)01:30

最後に一言、すみません。

だからぼかあ何度も「音は音である」っていうモダンな思想をベースにしてるって言ってるから、その感動の要素も十分すぎるほどに承知していますよ!!!!!

この発言へ、イブさんのこの思想は極めて明確にわかってますよwww

俺がメッセージについて説明したのはここが、イブさんと同じ思想だから、イブさんが俺の思想と矛盾しないって言いたかったんですよwww

俺がこういう考えを、音は音でしかないということを俺もしっかり持っているということを伝えたかっただけです。

ここを理解してないと思われたらちょっと俺も困りますんで。

ここわかってないと思われたから、「正直、目田村サンも僕の文章の意図をしっかり理解してくれてはいないな・・・と・・・。 」って発言が出たと思うんで。

そして勘違いという言葉はイブさんがメッセージについて勘違いしているということではなく、俺が音のこういう側面を捉えていないと勘違いしているという意味です。

ここは私の説明不足であることは間違いないです。

そして、イブさんの文章は曖昧ではないですよ、明快に伝わってきますからそこは安心してください。

最後に、やはりコメント欄での議論は精密さという点で限界がありますねwww



No.10|by メタムラサキ|URLMailEdit

無題

2007/12/04(Tue)01:39

まじでねwww


ちょっとそれにしては場所が悪すぎるwww

なんだこの狭い空間w

なあんだ!結局かなり分かり合えましたね。同じ思想でしたね!!w
ありがつ!!!!!

今度から目田村サン向けの文章はある程度推敲して、構成整えてから提出しますねw

ごめんなすって!!!

No.11|by イブカヒロキforめたむらし|URLMailEdit

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