コメントしようとしたら、文字数多すぎだって言われちゃっただ。だからここに書くぞい。
身の周りにあるものはすべて表現だで!
ペンの形、コップの形、カーテンの柄、メガネのフォルム・・・
この世には表現しか存在しないといってもよろしい。
普段気づかなくても、視点を立ち戻らせることで、ハッとするものはたくさんあるのね。
全部誰かの作ったもので、作者の意思は宿っています。
でも全部芸術なわけじゃーない。
ポップアートだって、こんなのが芸術!?なものばかり。
でも、彼らは歴史の文脈になぞらえて、かつその最先端をどうひねらせるかで、勝負している。
情熱がある。
そういう表現においての作者のエネルギーを感じてみたいのです。
そいつらの見た風景をおれも見たい。
本を読むのも対話だと思っております。
音楽聞くのも対話。絵を見るのも対話。
作品というものは、その向こう側に必ず「人」がいるんだ。
そいつらの世界観を感覚的に感じ取るのがすきなのね。
だから、変なものを作る人たちが、何考えてこんなもの作っちゃったのか知りたいしょ。
そいつにはこの世界がどう見えているのか知りたいしょ。
だから、変なものに引かれるのアタシ。変人だいすき。おまえも変人。
トーの見える世界はほぼわかってるつもり。だって意識とぶほど浸れるもん。flowってやつね
でも、フェネスの世界はまだ50パーぐらいしかわかりゃん。
天才の見た風景は雲の上じゃ。
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無題
2007/10/29(Mon)20:52
やっぱり変なものを見るための目って大事なのね。
万人ウケする作品もあれば、少人数に熱狂的に支持される作品もある。そういうマニアックな作品を本当に理解するには、そのために自分の意識みたいなのを高めないといかんね。
最悪なのは「こんな作品を聴いてる(見てる)オレってすげぇマニアだぜ!!」みたいなノリで語るやつね。そういう自分を高めるために作品を身に付けているようなウンコにはなりたくないですな。
No.1|by ふ|
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