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退屈は最大の罪である。

                              by スタンリー・キューブリック

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2025/05/11(Sun)11:17

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HUMAN IS÷÷÷÷÷÷÷÷

2007/12/08(Sat)00:47

なーんか、それでも「おれはサルじゃない!」とかこいてるボンクラがいそうなので、少し付け足しておこうかな。



((俯瞰の視座から「自分」を眺め、理想の「自分」へと跳躍している))人は、レベル1です。

(ヘーゲルより)




((何かを産出している))人がレベル2です。

(マルクスより)




おれは、写真、ジャケット、フライヤー、CD、を作っています。

もっと細かい事を言うと、読んだ本の要約、このブログ、も書いています。

レベル2ですね。生産性あふれる行動家ですね。





レベル1に関しては、毎日の筋トレ、健康食品バクバクというフィジカルを鍛える所。

また、言語の入力と出力を繰り返して、脳を鍛えている所。

カルチャーに触れ、情緒を高めている所。

が挙げられます。




「自分」も高めない、何も産出しない人はサルです。子供です。

ごめんねー。





うわーコワいこと書くなあ。イブーン。

「ああああああそういうこと言うなってぇぇぇ!!!」

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No.150|Comment(0)Trackback()

ブログ書けばいいのにみんなも

2007/12/07(Fri)23:50

おれのような最強マルチ人種は、同じようなブログを書いている訳ですな。

柔軟なブログを書いているわけですな。



ほーらね。


http://blog.livedoor.jp/isaignorant/
札幌ハードコア界の重鎮the sunのギタリスト、ISAIさん。

銀行マン。子持ち。デザイナー。DJ。の多才な顔をもつ。

おれみたいに、ふにゃふにゃブログですー。



http://blog.livedoor.jp/yama124/
世界に誇る、日本の次世代ポストロックの代名詞toeのギタリスト、山㟢さん。

塗装業(建築デザイン)。グラフィックデザイナー。子持ち。

あと、最近やってたドラマ「ライフ」の音楽担当だったらしい(!!)





ブログを書くってことの意義をわかって!!みなさん!!

No.149|Comment(0)Trackback()

my gear

2007/12/07(Fri)23:10




ギア1  空気の会話(いじる いじられる)

ギア2  世間話(最近調子どう?)

ギア3  建設的な会話(会議)

ギア4  悩み相談(恋愛、コミュニティ)

ギア5  深刻な悩み相談(鬱、孤独感)

ギア6  根源的な議論(生き方)

ギア7  より抽象的な議論(人間、芸術)

No.148|Comment(0)Trackback()

Escape from ape

2007/12/07(Fri)21:36






「サルはあかん!!!」

「大衆から抜け出せ!!!」

「人と同じ(凡人)はダメじゃ!!」

と最近のイブルゴンは連発しているようですが、

「サルでいーもーん」と言うサル達へ、

その理由をお教えします。




サルが常にとらわれている最も凶悪な感情が、「孤独」なのです。

もーどーしても抜け出せてない。みなさん。

だから、「彼女ほすぃー」とか、「友達と一緒にいたいー」とか、

ボケナスな事ばっかり言ってます。




「孤独」を克服する最短ルートが、自分を変える事なのでふ。

大衆を忌み嫌い、理想の自分へ向上することなのです。




そうしたら、「羞恥」や「怠惰」は、なんてアホな感情だ!と払拭することもできます。

それどころか、「煩悩」も消え失せ今あるものに満足できます。




最終的に、金が減らなくなります!!!

あと、友達が増えます!!!!

知識も増えます!!!!

頭が良くなります!!!!!




うわー超便利!!!

なんてお買い得!!!

早く「超人」を目指してね!!!うふふふふふ。



No.147|Comment(0)Trackback()

お兄ちぇーん(おニーチェーん)

2007/12/07(Fri)00:51





こんばんわ。

最近、

「前の人のせいで臭くなった便器でクソをしても何も感じない」

ほど、悟りの境地に近づいたhirohiroという身体、および意識、またはそれら二つの統合思念体です。

こんばんわ。





きっと皆さんは、ワタクシが何故このような奇天烈な文章を、近頃公開しまくっているのか、理解に苦しんでいるでしょう。

同時に恐れているでしょう。



そのような大ヘンケンを打破して、皆様にも、わたしが見ているフルスペックハイビジョンTVの世界を共有してもらおうとしているだけなのです。




しかし、皆が「おれはそういうの・・・いいわ」とか、「あたしはあたしでいーもーん」とか思っていたら、いつまでもその80年代の白黒TVの世界生きることになります。


自分を捨てていただきたい。そしてワタシになりきっていただきたい。





師を見るな。師が見ているものを見よ。






わたしの文章、わたしの行動を見ているだけでは、何も変わりません。

あなたの視点は変わらないのだから。

あなたの視点をわたしに依拠してください。

そうすれば、あなたはわたしの美しい世界を見る事が出来ます。

そして、その方法を使えば、本でも音楽でも映画でも、作者(役者)の気持ちになりきって感動することもできるようにます。

  自分に留まらないでください。





っていっても、まだ「おれはオナニー、バラエティー番組が楽しいからいいんだもん、お前ウザイよ。死ねば?」って言っているサルは、


・・・・・オサールサーンダヨーーーーー!!!!!!!!!




ニーチェの目には、彼の同時代人たちは、自分が「何ものかである」かを知らず、自分がどんな仕方で「思考している」のかを知らない恐るべき愚物に映りました。

ワタクシ、ただいま完全にその境地です。



こういう文章をペラペラペラと書ける時点で最強だと思っていますから。

「なあああにが最強だよこのスットコドッコイ!!」と思うサルは、

最強の定義を1000字でコメント書いてくださいね。

おれが2000字で返答しますよん。


お・チンチン!!!!!!!!!!!!!!!

No.143|Comment(3)Trackback()

ヘンケン中佐

2007/12/05(Wed)16:08





「ブログとか書く人って、友達いないんだろうなー。ひまなんだろうなー。」

「ハードコア演奏する人って、コワい人達なんだろうなー。」

「合コンする人って、チャラくて頭悪いんだろうなー。」

「ファッションださい人って、彼女とかいないんだろうなー。」

「3時間睡眠なんて、絶対体に悪いよ!!」




っていうのは全て、偏見(バイアス)です。










もっと言えば、

「初対面の人とおしゃべりなんて・・・はずかしい!」

「眠い。つかれた。」

も全部、思い込みです。バイアスです。



これらバイアスを全て取っ払えば、あらゆる物事を楽しめるようになります。










ニーチェは、世界一バイアスの少ない人間でした。

感受性、共感能力がパナかったのです。


ある演劇を見たとき、彼はまさに表現者と一体になって、その物語の登場人物の感情をそのままに感じたのです。

「うーーーーわああーーーーエクトプラズムでそう・・・。夢精しそう・・。」

ってなかんじで。








そういう感動したいしょ??ゲームやってて、キャラになりきらんと楽しくないしょ??









そして、この文章を見てなんにも感じないサルは、バイアスがやばいんですね。

「こいつ絶対友達いねーよ・・・・・。」「気持ち悪い・・・。」

って思うサルは、柔軟性が徹底的に欠けた動物です。死んでくだサイン!!!









フロイトは、人を見下すバイアスやばい人は、無意識のうちに「知ろうとする心」を抑圧していると言いました。

つまり、人間は知らず知らずの内に「無知であり続けよう」とするのです。

なんか見て、聞いて、なーんも考えない人は、無知そのものですね。

死んでーーー!!!はあーーーやーーーくうううううう!!!!!





んなので、「大学生でバイトもやってる男が叩くドラムなんてヘッタクソーに決まっている!!」って思うのも偏見そのものなので、


ライブとかやったら・・・・・ぜひ・・・来て・___・・・・・。





「ヘンケン艦長!!エマ・シーンの乗るガンダムマークツーが!!!」
「おれがエマに恋してるなんざ、偏見だ!!!」

No.141|Comment(4)Trackback()

強姦

2007/12/04(Tue)01:35

五感を鍛える感覚戦士!!!イブヒロ!!!!


五感を鍛える・・・・キタエール・・・・

それは僕の世界をワイドレンジにしてくれる最強の方法。

もちろん鍛えまくってます。



視覚→写真、絵画、

聴覚→音楽

嗅覚→お香、香水、アロマ

触覚→・・・・盲牌?w(麻雀しないし)

味覚→味覚は基本的に腐ってます。ばあちゃんのクサいメシでw
   (一番ウマい食べ物は佐世保バーガー)



複合バージョンでは、映画とか、ファッションとか、ちゃんとします。

むーん。

最強。

No.139|Comment(0)Trackback()

娯楽 is fucking action

2007/12/03(Mon)23:03

大学生って。

娯楽のためだけに生きている気がする。クサ。

辛いバイトで稼いだお金で、

ギャンブルやってーキャバクラ行ってー毎日同じ友達と飲んでー



ヴーーーーーーーーーーン。面白いw??


いや、面白いんならいいんですよ。どんどんがんばって!!

でもそういう人達の人生って、ファミリーコンピューターですよね!!!

ぼくの人生、世界はPS3です。

あははははは。調子乗り過ぎww




娯楽を目標にした生き方って、空しくないですかあ??

オナニーした後って、空しいですよね!!

それといっしょ!!



娯楽ってね、煩悩なんだよね。第一次欲求。

マズローの欲求段階説で言うところの、一番下位な欲求です。

それって、主観的にはとっても楽しいし、娯楽に興じている瞬間はサルのように楽しめるんですが、ふと客観的になったときに、「うわーオレこれでいいのかな・・・・」って思うんじゃないですか?


ヘーゲルは、「静止していることは堕落すること、禽獣となることである。」って言いました。んーつまりね、「自分でいる」っていうことは、理想の自分になるための「命がけの跳躍」を怠っているからダメですよ!!!死ねボケ!!って言いました。

そして、動物は「我は・・・」とは語れません。「おれってさあ」って言えるのは人間だけです。

じゃあ、その「おれ」を最強にする。理想の「おれ」にする行為をすればいいじゃないと。

それは、先の欲求段階説の一番高次な欲求である「自己実現欲求」ではないかと。



その欲求を満たす行為それ自体は楽しい筈じゃあありませんか??



「スノボーうまいカッコイイおれ」になりてぇ・・・。

そのためにスノボー練習するのって楽しくないですか????


「哲学者ってなまらカッケエエエ」

そのために本を読むのは楽しくないですか?????



だから、そういう高次欲求を満たす行為をすればよかべしと。

それって、絶対楽しいじゃんと。

「主観的」にも「客観的」にも同時に楽しめる。
「今」も「未来」も同時に楽しめる。
最高のエンターテイメントじゃあありませんかと。



まあそういうことです。




はいまたしても推敲はしません。20分で書きました。なんも見てません。うふふ



こんな純粋で思弁的でアカデミックな机上の空論は気にしないでみんなどんどんあそんでくらはいねーー。

ぼくも遊びたい!!!誘って早く!!!ヒマでしゅ!!!!

No.137|Comment(3)Trackback()

book is スーゲー

2007/12/02(Sun)10:17

最近ぼくのブログの一日の更新回数、文量がどえらい事になってきています。

そして、コメントをしてくれる一部の人たちの文量もどえらい事になってます。(感謝感激)



この膨大なテキスト、自分で書いたくせに、全く読み返す気がおきませんww

でも、推敲なしの垂れ流しウンコ文章の割には、意味含有率の高い、密度の濃い文章が書けちゃうこともあって、コメントも含めて読むべき良文がたくさんありますよ!

読んで無駄なことは無い!!!



「自画自賛か!!死にくされ凡人!!」
とお思いの方はたくさんいらっしゃるとは思いますが(ハイ出たこのパターン!)

過去の自分は自分とは思っていませんからアタシ。

「あんときのオレ君、イイ文章書くジャン。いいなあー。おれもアイツになりてえ。」

って思ってますから!!


読め!!!読み返せ!!と思いますが、しかし

これだけの膨大なテキストを読むのはとっても大変でふ。

だが本を読んでいる人なら、余裕ちゃんチャコリンですな!!!!!



本を読む、グレイトで、クレバーで、ステキで、カッコイイ、分別のある、思慮深い、人達はこのブログの文章がチンチンか否かは簡単に判断つきますよね!!!


本を読まない、愚の骨頂な人、いや、チンカス、目くそ、死亡人材は、もう相手にしませんが。(ウソ!大好きみんな大好きチュウ)




本を読むなんて、なんも意味なすーだと思っているそんな方々へ。

本の重要性についてちょっと教えちゃう!!

有り難き神言をしかと受け止めよ!!!!!!





人間の思考回路は、すべて言葉(文字)で成立しています。

なにをするにしても、言葉でしか脳は動いていないと言っても過言ではない。

悩むときって頭ん中で言葉のやり取りするしょ??

っていうか、左脳の言語也と右脳の情緒也?(ウソ800!)を鍛えるだけで、おしゃべりはもちろんの事、なんだってレベルアップすると思います。

脳の動きを活性化させれば、スポーツでも楽器でも飛躍的にレベルアップできるんです。

セックスもうまくなります。






言語とは、ソシュールチックに申しますと、シニフィアン、シニフィエの合体したもの、つまり至極無機質なものなんです。

そういうモノを基礎としている脳ってやつも、単なるコンピューターみたいなもんなんですね!!

CPUが前頭葉で、メモリが海馬で、側頭葉が外部記憶装置ですか???

まあそんなもんです脳なんて!!!!
(おれの究極に勝手な持論)




だから、脳が有機的で崇高なモノだと思ったら大間違い!!

言語が制度でしかない以上、思考、論理も制度でしかなくって、つまるところ、お前らの行動も全て制度でしかないんですよう。

人間の三大欲、第一次欲求、煩悩も、制度でしかないの。

セックスが楽しいなんて、思い込みもいいところです。




あーーーーーーだから!!!!!

本て言葉で書かれているしょ!?!?!?

言葉を読んで、こうやって思った事ブシャーーーって書くことは、脳を活性化させるから、なんでも最強になるし、世界の見え方も変わる!!!!

楽しくなっちゃーうよーう!!!




んーだから読めって言ってます。ぼくわ。

この文章読んで、「うわ気持ち悪い!!」って思うのはバイアス(偏見)の多い柔軟性のない腐った人種なので、それで毎日オナニーに耽っているカスは早死にすればいいなあーと思うんですが(ウソ!!みんな死なないで〜〜!!)

ここで、「うんそうだよね!!!!ぼく読んでるよ!!!」って言う人達には天の祝福あれ・・・・あと神のご加護を・・・・。

「ゲジゲジ!!読まなきゃ!!でもオナニーもしたい・・・・」って言う人はあと一歩ですね。












No.134|Comment(2)Trackback()

文系の脳ミソ

2007/11/30(Fri)00:32


ぼくって、とことん文系の脳なんですよね。

人生って何??みたいな哲学的な疑問ばかり浮かびますもん。

我流哲学者ですから。



一方、「電子レンジってどういう仕組みなん??」とか、「携帯電話ってすごい!!」とかいう物理的現象にはんまり興味が湧かないんです。

しかも超絶方向音痴だし、空間把握能力ゼロ。

数字キライ。日本史の年号とか覚えられない。

でも経済学部って生憎数字ばかりなので、ホントにヤメたい・・・・。



好き嫌いを無くすことが、広い世界を楽しめるための条件だから、がんばって数字好きにならなきゃ!!

数字とは??記号とは??っていう哲学なら好きなんですけどっw

おーじゃあそっちから好きになろうっと。

No.124|Comment(2)Trackback()

音楽ってなあに

2007/11/30(Fri)00:02

「音楽命!!」という人を見ると、好ましく思える反面、とても視野が狭い人だという印象も受ける。

「なにも興味の対象を一つに絞らなくても・・・・」と思っちゃうからだ。

一方、僕にとっての「音楽」とは、

好きな学問分野の一つであり、表現の場を与えられている意味でアイデンティティーの一つである。

まあ要するに僕の中身の一端を担っている「部分」でしかない。

しかし、興味分野の一つでしかない「音楽」に対してどれだけコミットしているかという意味では、誰よりも真摯であると自負している。

例えば、「音楽とは」という問いは、「芸術とは、表現とは、(音楽を形成する)社会とは、バンド(組織)とは、鑑賞者と表現者(主体客体)の関係とは、音楽教育とは、 音階、メロディとは、リズムとは、ジャンルとは、音響とは、スピーカーとは、聴覚刺激とは、脳への影響は、」といった様々な問いを内包する。

そして、そのような疑問に本気で立ち向かっている僕は、「音楽命!!」と言っている多くの人たちよりも、よっぽど音楽に対して真摯だと言えないか。

うん!!言えるよね!!!




そして、そうやって「音楽」をあらゆる側面から捉えて掘り下げたことで、僕はいろいろな事柄に対して、深い洞察力も得たし、また自分の中で情緒とかセンスとか、そういう根源的な「何か」がドラスチックに改変されたと思う。

生き方が変わった。見えてる世界の色が一変した。



また、そういう主観的な要素より、客観的な部分、つまり「能力」も向上した。

「人間は平等だ!上も下もない以上、「能力」なんてものは存在しない!」と言われそうなので、

ここで能力について少し補足する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間というワードの定義が、人と人との関係性の中で見いだされるモノだとすれば、

「社会」を生きる上で必要な「能力」こそが、人の格を決定することが出来るモノだと言える。

それは、簡単に言うと「社交性」だったりするのだが、例えば作家の斉藤孝氏は、「できる人」の基礎力として、「まねる盗む力」「段取り力」「コメント力」を取り上げている。私の言葉に置き換えると、「トレース能力」「論理力」「発進力」となるのだが、どれも人間を相手にした「関係」で必要な能力だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらは、あくまでも社会を構成する人間としての客観的な能力なので、個人が主観的に人生を楽しめるか否かという点から見れば、一面的な「能力」でしかない。



話を戻して、音楽は、そういった「能力」をもぼくに授けてくれたと感じている。

表現者の心に寄り添って聴く、トレース能力が身に付いた。
このブログや人との会話において、ぼくの音楽に対する考えを出力する過程で、自然と思考の機会が増え、論理力、発進力もついた。





僕の主観的な世界を美しく改変し、社会にコミットするため入り口も提示してくれた、「音楽」に心から感謝する。








僕は、功利主義、快楽主義であるのだが、快楽の「質」を重視する。(J・Sミル)

なので、寝るのも楽しいし、食べるのも楽しいし、オナニーするのも楽しいのだが、

それよりもっともっと脳天直撃な快楽を欲する。

それを追求するには、本を読み、人と話し、究極の快楽を求めて向上しなければならない、

向上心をもっていろいろな事に取り組むことによって、その過程でどんどん自分の世界が広がる。

その行為自体、今も未来も同時に楽しめる、質の高い快楽だ。

だから、みんなにも今の楽しさに安住しないで、もっともっと楽しい事を見つけて欲しい。

例えばそれは、音楽を掘り下げることだったりするんじゃあないのかにゃ???



っていうか、この文章、20分で書いた推敲なしのチンコ文章なので、がんばっておれの考えを読み取ってね!!!みんながんばれ!!!

No.121|Comment(0)Trackback()

無秩序の秩序化

2007/11/26(Mon)22:29

大友良英の本を読み返していたら、音響派についての文献の中で、興味深い考察がなされていた。

吉村光弘さんの、「音響(派)の定義 と 大友良英の在り方」というようなテーマで書かれたその文章は、佐々木敦を引用した斬新な切り口で音響に立ち向かっていた。

そもそも、音響(派)とは、音をそのコンポーズの手法(組み立て方)よりも、テクスチャーに省略した「聴取」の次元で捉えようとした音楽の形式だと言われている。

つまり、音を感覚的な体験として捉えるもの(鑑賞者主体とも言える)ということだ。

吉村氏はここに、新たな要素を付けたし、音響(派)が「外部性」との「関係性」において捉える表現形式だとした。

例えば、OFFSITEという周囲が住宅地で囲まれた、壁の薄い小さなフリースペースでの日本特有の音響(派)の演奏では、(クレームがあるため)小さな微音でしか演奏できない。それゆえ、外の音までもをその音楽として内包するのだ。
よって、外部にある無秩序なものを内在化する音楽形式なのだ。


そのような音楽を演奏しつづける、大友良英自身の生き方も、そのような外部性に対しての捉え方と共通している。
彼はグローバルに活動の幅を広げているので、周囲との軋轢や齟齬は必ず存在するのだが、そのような「不可能性」をも彼はすんなり受容してしまう。
また、知的障害者とのワークショップでの演奏など、自分の領域からかけ離れたモノとも即座に共存してしまう。

つまり、とことんまで柔軟でありつづけているのだ。



彼のそのようなある意味音響的生き方を読んで、ある一説を思い出した。



フランチェスコ・アルベローニという人の「混乱を受け入れる人」という文章。

((創造的な人物とは、無秩序を秩序化できる人を言う。))


という言説だ。



全く大友良英のことをさしているではないか。


あああああ練習まで時間ないよー。20分ではかけませーん、、


あと、最後に大友さんは吉村サンの文章を批判的に受け止めてます。ブログで。

http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20070730



はい!!!今度ちゃんと書き直そう。じゃあ行ってきます。3週間ぶりの練習!!!1


No.115|Comment(2)Trackback()

世の中、金でしょ!!!うへへへへ

2007/11/17(Sat)21:59

「競争社会」・・・・・・そう呼ばれる世の中だ。


受験競争、社内競争、・・・・そのような過酷な競争へと組み込まれる事からは一生逃れられないのだ、という一種の諦念を持って、皆生きている。(と思う。大人は。)

そのようなネガティブな捉え方でしか世間や社会に歩み寄れないのだとしたら、人間関係など初めから断ち切ってしまえ〜〜〜。

しかし本当に我々は、他者より高い所へ高い所へ!と悲鳴をあげながら登り続けるような人生しか歩めないのだろうか。

勉強するのは人を見下すためか。業績を上げるのは同僚を蹴落とすためか。

・・・・・そうではないだろう!!!!

上???下??? 勝ち組???負け組???

一体全体、何を以て格差などと言えるのか。

競争も格差も、全て「金」という尺度で計った言葉であろう。

人は「金」がそこまで欲しいのか。





「金」はわたしたちに何をもたらしてくれるのか。






私は全ての行動に、意味と効率を考える。

勉強するのはなんのためか・・・・仕事をするのはなんのためか・・・・・

人生とはなんのためか・・・・・・

考えだすときりがなく答えの無い抽象的な問題、つまり哲学ばかりしている。

私は単に考え性なのだ。

そこでの疑問の連鎖の最終地点にあるのは、「幸福」。

最上の欲求の先にあるものは、私だけではなく皆等しく、「幸福」だと考えるであろう。

しかし、多くの人は、「幸福」=「金」であると捉えているようにしか、私には思えてならない。

安定した収入???

それが充実した人生を心豊かに生きるための絶対条件なのだろうか。




みんなは金を何に使っているのだろうか。

風俗、酒、付き合い、ギャンブル、旅行、

そのような一過性に富む即時的な快楽に投資することもあれば、

服など、自己のアイデンティティーを保つためのものに金をつぎ込むこともあろう。



私は、自分という枠に固執しない。だから服は要らない。(今だけ。)

それに、「未来を作る今を楽しんで生きる」ために、刹那的快楽に金銭を投じることもない。つまり、私は私を造るための投資しかしない。





<未来の私を造る>ための投資とはどういうことか。

例えば、今欲しいものはBOSEのスピーカー(32800円)である。

聴覚を含む、五感を鍛えることは、世界を広く美しく感じられるようになるということだ。

また、未来の私は人生を心豊かに過ごす事が出来ているはずだ・・・・と思ってそのスピーカーを購入する「今」も同時に楽しんでいる。

<未来の私を造る>という行為そのものが楽しいのだ。





そういう設備投資のような金の使い方をすれば、少しは金銭の減少も軽減されるだろうし、なにより今も明日も同時に楽しめる。

未来を生きるとはそういうことなのだ。





「金」を未来の自分に使ってみないか。



そうすることが、皮肉にも結果的には競争に打ち勝つことつながるんじゃない???

No.103|Comment(6)Trackback()

佐藤弥生ちゅわん

2007/11/17(Sat)10:16








イデアに出会いました。

最上、最高、最強、最美。

一目惚れ!!


王様のブランチにでてたあー。

No.101|Comment(2)Trackback()

最後の警告

2007/11/14(Wed)13:51




さいきん、出力の方向が世間への怒りに変わってきているので、ちょっと落ち着こうと思います。

ネット界の暴走機関車トーマス(グラシャラボラス)こと井深弘基は、これを機に、しばらく入力に励もうと思います。


////////////////////////////
最後に、超絶コワい文章を掲載。

調子に乗るのもいいかげんにして欲しいです。

他への怒りは、自分への怒りだと思ってください。

決して、人を見下したりしてません。

わたしも人。わたしは「人」は大好きです。友達最高。

あー勘弁してください。できれば、誰も読まないで。

「じゃあ載せるな」とは言わないで。
////////////////////////////




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
BAKAとしゃべる時は、自分もBAKAにならないと、会話がつまらなくなる。

その場その場に、自分をフィットさせていかないと、楽しい時間は過ごせない。

(楽しい→感動することは人生で一番大切なこと。)




そもそも、相手に自分の全てなんてわかってもらえるわけがない。

実際に、この文章を見ている人が、おれの事を何もわかってくれないように。

BAKAは、言葉から相手の世界を読み取る能力が欠如している。
(おれの文章がタダの書きなぐりのチンコだからというのもあるだろうけど)

だから、全員おれのことなんて11%ぐらいしか把握していない・・・・・。

把握できんのは、思慮深さ最強のトモミだけ。




すーげー思慮の深い人は、全部わかってくれる。

人間性じゃなくて、思慮ね。

(人間性はスポーツ、合コン、などの外ベクトルの行為で培われる。
対して思慮は、挫折、哲学、研究など、内ベクトルの行為で培われる。)

まあおれは、どっちも最強になりたいので、いろんな事に挑戦します。





自分をもたない人間は、友達に依存する。(そこでの自分が本当の自分だと勘違いして)

しかし、人間の愛なんて、全く信用してはならない。

毒をはらみすぎている。友達なんて、状況一つであっさりあなたを捨てます。

友達や、恋人に依存。そして依存先に視点を依拠して、そこから自分を眺めているようなヤツは、とんでもなくカラッポ人間、つまりBAKAです。

何かに依存しているBAKAは改めたほうがいいです。だってつらいでしょ。

アイデンティティーを分散させろ!!!!と言いたい。

おれは、アイデンティティー、友達、果てしなく多いから、常に余裕です。

べつに、この文章を見て、おれをキライになる人がいてもしょうがないけど、いたくもかゆくもありません。

でも、うそ。キライにならないで・・・・・・・・。好きです・・・・・。

「人」が好きなんです。

でも、どうしても不満があるなら、言え!!おれに言え!!!!




その前に・・・・・・・・・・

「世の中に不満があるのなら自分を変えろ。それができなきゃ、目と耳と口をつぐんで孤独にくらせ!!!!」

by素子from攻殻機動隊  or  キャッチャーインザライ(ライ麦畑で捕まえて)

No.97|Comment(0)Trackback()