よし、ヒマだから一人言でも書こうw
西高のあきらんが言っていた、
「人それぞれ」が、ぼくが本当にキライな言葉でして。
だから以前から「芸術は客観的に批評可能だ!」などずっと警鐘を鳴らしているのですが。(こういうパフォーマティブな場で。)
参照イイとか悪いとかいう価値判断を、どこにゆだねるかというところで、「それは人それぞれだ」なんて言うのはあまりに短絡的すぎるし、
じゃあおまえは、物事に甲乙つける事さえ出来ないよと。
本当にイイものを追求する。
それがまさに哲学なんです。
「イイ人間とはなんだ。イイ社会とはなんだ。イイ芸術とはなんだ。」
すべての哲学は、ここからスタートしていると言ってもいい。
だから、まともに哲学、つまり様々な事象を、ある程度メタ化(抽象化)したレベルで、トータルに考えられる人じゃないと、イイものなんてわからないんですよ。
それは単に「好き」っていう主観的な判断なので。
そこで、イイとかワルイとか客観的基準を以て公言できる、むしろそれ自体を職業にしてしまっている人っていうのが、
批評家という存在なんですね。
彼らは批評対象となるものを、量的にも消費してきているし、だからこそ感覚的にイイものっていうのがわかるんですけど、
その理由なり根拠なりを言語化する(客観化)することがすごいんです。
だからとことんまでモノサシ人間なんです。
彼らの言うイイ、ワルイはまあ間違いない。
残念ながら、日本ではそうした批評家の社会的地位がとても低いのです。
なぜなら、さっき言った「人それぞれ」っていう観念が感覚的に染み付いてしまっているから。
人の言う事聞かないんですね。
(こうして書いていても、あなたがおれを信用していないように)
なんでそうした既成観念が出来上がってしまったのかというと、
構造主義の誤った捉え方が流布されてしまったからです。
かつてのマルクス主義が一般だった時代は、歴史はある進化を前提にして、常に真理に向かって進んでいると、皆思っていたんですが、
現代の思想は、そうした真理なんてものは無いのだと思われている。
正しい事はなにもないと。
だから、じゃあもう好きな事やろう!と。
「目の前の快楽」の価値が上がる。
確実だし、即効性がある。だからみんなそればかりを消費するようになる。
しかし、そうした快楽の質を問わない功利主義的な考え方(ベンサム)は、
長いスパンで見たときには、やはり実利性がないことがわかるはずなんですよ。
でもそれがわからないから、「メンドクサイ」が先攻して、
ニートが増発する。
目の前の快楽しか見えないから、ニートになる。
ニートが何故「ワルイ」のか?って言ったときに、
社会貢献していないから、としか言えないんですよ。
社会にコミットして、人との関係を結ぶのが人間、つまり「イイ」人っていうことになって、
そこで初めて「エラい」って言えるんです。
・・・・つまりね、真理は無いかもしれないけど、
みんな、「常識」という、安易だけど使いやすい、客観的なモノサシを持っている筈で、
それに照らし合わせて、直感的に「イイ」「ワルイ」って言ってるんですよ。
結局は「常識」は、社会を成り立たせるルールであって、価値判断の基準になってるんですね。
そのルールに忠実なほうがイイと呼べる、っていう。
だから常識はとっても重要なんですよ。
きちんとした価値判断をするために。
そうした客観的な価値判断を捨てて、独りよがりな判断に依存していたら、結局は自分の損になる。
おれにしかこの良さはわからない。とか。
そんな事言っていたら、自分の価値を下げてしまう。
例えばまず、ファッションにおいて、そういう考えが多すぎる。
だからみんなダッサイ格好ばっかりして、それにお金かけたりして。
あれなんてまさに「客観」のためのモノなのに、そこで「おれはこれでいいんだ」って好きな服ばっかり買っていたら、それはそれは残念な格好になりますよ。
どんどんダサくなって、かつ金がどんどん飛ぶ。
自分のためにならない。
音楽も、「おれは○○が好きなんだ」って言い続けていたら、
他のもっと楽しいハズの音楽を知らないまま一生を終えてしまいます。
「本当のイイもの」を知らずに。
だから自分のためにならない。
また、主観判断ばかりでは、
最終的にはコミュニケーションの軽視や、節度や礼儀も軽んじられるという結果に繋がる。
客観性の軽視は、社会の崩壊を招くよ。
人それぞれ、じゃなくって、「便利」だったりとか、論理的に反論できない説得を受けたら、素直に良いじゃんって言える柔軟性??
それが結局は客観的な価値判断に繋がる筈。
まずは人の話を聞けよ。ということ。
そして、おれはいろんなことをワキワキやっているけど、
それだって「未来の自分のため」「人のため」っていう価値基準に当てはめた上で行動しているし、
レベルの高い、「イイ」行為だ。
それは「おれの主観で判断した結果」ではなくって、哲学者たちが紡ぎだした、ある種の「公式」に照らし合わせた結果なので、おれの行動がイイものかワルイものかは、様々な引用で証明することはできる。(今はしないけど)
そして、「行動が人間を規定する」のだから、そうしたイイ行動ばかりしているおれは、最強人種だということが出来ます。
あんたらの勝手な価値判断で、おれのすることがどうだこうだとは、間違っても言わせませんよ。
でもオレは、さっき言った通り、量的にもサブカルチャーを消費してきているし、
哲学もしているし、批評というものも考えているので、
まあおれのオススメは間違いない!!!!!!!!!!!!!!!!!!
だからmixiのミュージックはくまなくチェックだ!!!
だ!!!
あとおれの言う事は間違いない!!!
でも文章力は無いので、うまくニュアンスが伝わらないかもしれないし、
違和感を覚えるかもしれないけど、
それをきちんとおれに伝えられないような凡人は、間違っているとか思う資格さえないわけで。
凡人は死んでくれ。
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