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退屈は最大の罪である。

                              by スタンリー・キューブリック

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2025/05/11(Sun)07:45

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客観性

2007/12/24(Mon)23:01

よし、ヒマだから一人言でも書こうw



西高のあきらんが言っていた、

「人それぞれ」が、ぼくが本当にキライな言葉でして。

だから以前から「芸術は客観的に批評可能だ!」などずっと警鐘を鳴らしているのですが。(こういうパフォーマティブな場で。)

参照

イイとか悪いとかいう価値判断を、どこにゆだねるかというところで、「それは人それぞれだ」なんて言うのはあまりに短絡的すぎるし、

じゃあおまえは、物事に甲乙つける事さえ出来ないよと。




本当にイイものを追求する。

それがまさに哲学なんです。

「イイ人間とはなんだ。イイ社会とはなんだ。イイ芸術とはなんだ。」

すべての哲学は、ここからスタートしていると言ってもいい。



だから、まともに哲学、つまり様々な事象を、ある程度メタ化(抽象化)したレベルで、トータルに考えられる人じゃないと、イイものなんてわからないんですよ。

それは単に「好き」っていう主観的な判断なので。




そこで、イイとかワルイとか客観的基準を以て公言できる、むしろそれ自体を職業にしてしまっている人っていうのが、

批評家という存在なんですね。



彼らは批評対象となるものを、量的にも消費してきているし、だからこそ感覚的にイイものっていうのがわかるんですけど、

その理由なり根拠なりを言語化する(客観化)することがすごいんです。

だからとことんまでモノサシ人間なんです。

彼らの言うイイ、ワルイはまあ間違いない。




残念ながら、日本ではそうした批評家の社会的地位がとても低いのです。

なぜなら、さっき言った「人それぞれ」っていう観念が感覚的に染み付いてしまっているから。

人の言う事聞かないんですね。
(こうして書いていても、あなたがおれを信用していないように)





なんでそうした既成観念が出来上がってしまったのかというと、

構造主義の誤った捉え方が流布されてしまったからです。




かつてのマルクス主義が一般だった時代は、歴史はある進化を前提にして、常に真理に向かって進んでいると、皆思っていたんですが、

現代の思想は、そうした真理なんてものは無いのだと思われている。

正しい事はなにもないと。




だから、じゃあもう好きな事やろう!と。

「目の前の快楽」の価値が上がる。

確実だし、即効性がある。だからみんなそればかりを消費するようになる。




しかし、そうした快楽の質を問わない功利主義的な考え方(ベンサム)は、

長いスパンで見たときには、やはり実利性がないことがわかるはずなんですよ。



でもそれがわからないから、「メンドクサイ」が先攻して、

ニートが増発する。

目の前の快楽しか見えないから、ニートになる。




ニートが何故「ワルイ」のか?って言ったときに、

社会貢献していないから、としか言えないんですよ。



社会にコミットして、人との関係を結ぶのが人間、つまり「イイ」人っていうことになって、

そこで初めて「エラい」って言えるんです。




・・・・つまりね、真理は無いかもしれないけど、

みんな、「常識」という、安易だけど使いやすい、客観的なモノサシを持っている筈で、

それに照らし合わせて、直感的に「イイ」「ワルイ」って言ってるんですよ。

結局は「常識」は、社会を成り立たせるルールであって、価値判断の基準になってるんですね。 

そのルールに忠実なほうがイイと呼べる、っていう。

だから常識はとっても重要なんですよ。

きちんとした価値判断をするために。




そうした客観的な価値判断を捨てて、独りよがりな判断に依存していたら、結局は自分の損になる。

おれにしかこの良さはわからない。とか。

そんな事言っていたら、自分の価値を下げてしまう。




例えばまず、ファッションにおいて、そういう考えが多すぎる。

だからみんなダッサイ格好ばっかりして、それにお金かけたりして。

あれなんてまさに「客観」のためのモノなのに、そこで「おれはこれでいいんだ」って好きな服ばっかり買っていたら、それはそれは残念な格好になりますよ。

どんどんダサくなって、かつ金がどんどん飛ぶ。

自分のためにならない。





音楽も、「おれは○○が好きなんだ」って言い続けていたら、

他のもっと楽しいハズの音楽を知らないまま一生を終えてしまいます。

「本当のイイもの」を知らずに。

だから自分のためにならない。





また、主観判断ばかりでは、

最終的にはコミュニケーションの軽視や、節度や礼儀も軽んじられるという結果に繋がる。

客観性の軽視は、社会の崩壊を招くよ。







人それぞれ、じゃなくって、「便利」だったりとか、論理的に反論できない説得を受けたら、素直に良いじゃんって言える柔軟性??

それが結局は客観的な価値判断に繋がる筈。




まずは人の話を聞けよ。ということ。




そして、おれはいろんなことをワキワキやっているけど、

それだって「未来の自分のため」「人のため」っていう価値基準に当てはめた上で行動しているし、

レベルの高い、「イイ」行為だ。

それは「おれの主観で判断した結果」ではなくって、哲学者たちが紡ぎだした、ある種の「公式」に照らし合わせた結果なので、おれの行動がイイものかワルイものかは、様々な引用で証明することはできる。(今はしないけど)

そして、「行動が人間を規定する」のだから、そうしたイイ行動ばかりしているおれは、最強人種だということが出来ます。




あんたらの勝手な価値判断で、おれのすることがどうだこうだとは、間違っても言わせませんよ。









でもオレは、さっき言った通り、量的にもサブカルチャーを消費してきているし、

哲学もしているし、批評というものも考えているので、

まあおれのオススメは間違いない!!!!!!!!!!!!!!!!!!

だからmixiのミュージックはくまなくチェックだ!!!


だ!!!



あとおれの言う事は間違いない!!!

でも文章力は無いので、うまくニュアンスが伝わらないかもしれないし、

違和感を覚えるかもしれないけど、

それをきちんとおれに伝えられないような凡人は、間違っているとか思う資格さえないわけで。

凡人は死んでくれ。
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No.208|Comment(0)Trackback()

むまむまむま

2007/12/21(Fri)21:49

知的好奇心

表現欲

トリップ(芸術、スポーツ)




もうこれだけで十分です。人生。


∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧


優れた表現者、つまりクリエーターの人達って、決まって好きな音楽、映画、絵、本、また、尊敬する人、をたくさん言えるのね。

それは出力するためには、入力する必要があるっていうのもあるし、様々な文化の中で、自分の表現はどういうポジションにあるのか、っていうことを確認するっていうのもある。

何も知らないままでは、何も言えない。何もできない。




カントがね。「美に触れる感動は、他のどの感動(快楽)とも全く別の次元のものだ」言ったのね。

カントの美学は今でも芸術論では有力で、色んな研究がされているんだけど、

本当にそう思う。




だから、他の欲求と同じレベルにして欲しくない。

「それはただカントが勝手に言っている事で、おれはそうは思わない」っていう人がもしいたら、死んでください。




おれは表現者の気持ちになって聴く、観る、といつも言うけど、それは「おれならこうするのに。おれならこうは出来ないな。」って考えながら感じるっていうこと。

つまり理論的にみているんだけど、同時に感覚的、本能的にも感じてます。

そうすることで、所謂「耳が肥える」「目利き」になれるし、より多くの文化を享受できるようになる。

そして、よりぶっ飛ぶ、トリップ、フロウ、することが出来る。



みんなもぶっ飛べ!!啓蒙します!!!(あれ?さっきと言ってることが違う!)

No.197|Comment(0)Trackback()

広い意味では「歴史」

2007/12/21(Fri)21:02

ぼくはいつも批評的なことを書くときには、第一人称や文体が堅苦しくなることが多いんだけど、

そういう文章を書くときは、やはり啓蒙的な意味合いも含んでいる。

変な行動ばかりとるオレ自身が珍しい人種だと思われがちだけど、おれのような変なことをやっている人はたくさんいるし、そういう人達が作り上げた、みんなが知らない世界をオレは知っていて、だから決してオレ一人だけではなくって、アンダーグラウンドな所には全てが繋がっていて、大衆的、表面的な世界を、下で支えるとてつもない大きな世界が広がっていて、そういったものを知るっていうのは、知性や感性とは別に、データとして了解するっていう意味なので、レベルをあげろって言うんではなくって、相対的に自分の興味の対象なり、もっと言えば自分自身について考える機会を与えたいというだけなのです。

みんなと違うことをやるっていうのは、みんなと同じものをやるよりも段違いに楽しいことだったり、お金がかからなかったりして、みんなも絶対にやるべきだと思ったから、こういうパブリックなスペースにテクストを置くっていうのはある。

批評っていうこと自体、過去を洗いざらいにして、そこから新しい領域に挑むためのツールを作るっていう側面もあって、良い悪いは感性や価値観とは別個の場所にあるんだと思うし、そういったツールは至極客観的なものでなければならないんだけど、何も知らないうちからはツールも持てないと思うし、

何をするにしてもツール(方法論)は自分の中で構築しておかないと、利便性という点において、とても実利的な見方、やり方ができないので、人生損をするんじゃないのかな。と。

コアな領域を知るっていうことは、全てにつうじるツールを得るために必要なことだと思う。

No.196|Comment(0)Trackback()

恋愛はDJだ

2007/12/16(Sun)17:43


(ある意味日本一のDJだと思う。moodman)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜イボンヌの恋愛講座〜


DJだ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



恋愛の貴公子イブカシが考案した、画期的恋愛論を、特別にネット会員の皆様だけにお教えいたします。

ナイショですよ!!みなさん!!!




恋愛はDJ、すなわちディスクジョッキーのようなものです。

DJのプレイが上手い人ほど、良い恋愛が出来ます。


「ある異性と関係を持つ」ということは、「レコードが回りだす」と思って下さい。



そして、「新たな異性との出会い」もまた「レコードが回りだす」ということです。


もし、今のレコードに飽き飽きしているみんなは、

次なるレコードを反対側で流しながら、ピッチを合わせ、

準備が整ったらMIXへ移行しましょう。


つまり、フェードイン、フェードアウトへ取りかかります。


ここは、本来のDJスタイルとは違って、フェーダーを一気に動かします!!

なぜなら、恋愛の場合、「いつの間にか移行していた!!」という上手いMIXより、

「思い切り」の良いプレイが肝心だからです。


「アバヨ!!!!」ってね!!!


ピッチを合わせたら、いつでも次のレコードへ移行できるように、

みんなもレコードをDIGしておきましょう!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ハイつまり合コンです。

既婚者も、未婚者も、合コンしませう。

No.182|Comment(4)Trackback()

human is pc

2007/12/14(Fri)12:40

ぼくは、人間なんてコンピューターだと思っています。

少なくとも、今の社会の通底、通念は、そういう思想で成り立っています。

とってもシニカルに聞こえるかもしれないけど、そう思っていた方が人生楽しいし、何事もうまくいく、と経験的にわかっています。




例えば、ぼくが路上で過激なヘッドバンキング、エアドラムなどの異常な変態行為をしていると、

よく「人間的じゃない」とか言う人がいます。

「やめなよ、恥ずかしくないの?」と。(大衆=サルの意見)




そんな愚物には、「あんた、『人間とは』ってマジメに考えた事あるの???」と言いたい。




先に述べたとおり、人間はコンピューターです。

道具を使える動物=言語、論理というツールで「思考」できる動物=人間ですから。



その言説に対して、「感情があるのが人間だ」とか抜かすボケは、時代に取り残されます。

そんなカントみたいな考え、とっても古いです。

真理が存在しないことぐらい、誰でも知っているはずです。

じゃあ、感情なんてものも、環境に作られた幻だっていうことはわかるはず。

現に、おれにはマイナス感情がほとんどない。(ストレス、羞恥心)


感情はサルにでもあります。

だから、「人間的」とは違います。



大衆は、「人間的」を、みんなと一緒的、すなわち「大衆的」と取り違えています。

おれは大衆とはかけ離れた「超人」なので、そんな愚鈍な考え方には耳もくれてやりませんが。





そうすると、

どうすれば一番「人間的」になれるのか、となる。

簡単!!!

おれのようなスーパーコンピューターになればいい。






No.176|Comment(0)Trackback()

モラトリアム

2007/12/14(Fri)08:40





「早く就職したい」という人がいる。

「自分でお金を稼いで、自立した暮らしがしたい。」と。

ポジティブに言えばそうなる。



だが、ネガティブに捉えると、

「モラトリアムでいることの辛さから抜け出したい。」

「毎日のルーティンに組み込まれたい。」

とも受け取れる。



そんなに自分の可能性を限定したいのだろうか。

一直線に敷かれたレールの上を歩む方が楽しいのだろうか。

・・・ぼくにはそうは思えない。



大学生は、時間がたくさんある。

なんのためにこんなにも時間が与えられているのだろうか。




視野(見聞)を広めて、

自分の  可能性  を広げる。





これに尽きる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



就職したい人間よ。



お前のそのクソ狭い視野からは、この世界は小さく映るかもしれない。




だが、お前の世界を広くするのは、今しかないんだ。




一度立ち止まって、周りを見ろ。




こんなにも、世界は面白いことでイッパイだぞ。




ぼくも、芸術がこんなに面白いなんて、半年前までは知らなかった。

そして芸術とは何か、と哲学することの楽しさも知らなかった。

・・・

こんなにもたくさんの音楽のジャンルを同時に楽しめるなんて知らなかった。

こんなに面白い映画がたくさんあるなんて知らなかった。

スケボーが楽しいなんて知らなかった。

macが便利だなんて知らなかった。

カメラが楽しいなんて知らなかった。

アロマで気分向上!!なんて知らなかった。

3時間睡眠でもいいじゃん。なんて知らなかった。


・・・・・・もっともっともっとたくさんの事を知った。




何も知ろうともせず、ただ前だけを見ていては、

お前の人生はカスみたいになる。



現に、「鬱だわー」「忙しいわー」「辛いわー」なんて言っているヤツは、

狭い視野で、腐ったような世界で生きている。

(自分で自分の首を絞めている。アホだ。)





毎日のようにバイトして、

儲けた金で、余暇には顔なじみと飲み明かす。



社会人となんら変わりない営為。





そんなことをやっている場合かよ!!!!






ぼくは大学生として、与えられた時間を最大限に使って、視野を広げている最中だ。

一分一秒もったいない。

退屈だなんて感じることは一秒も無い。



そうこうしているうちに、

ぼくは札幌で一番視野の広い大学生になれたと自負している。

ジャンルレスに深い洞察力を発揮できる。



その営みの一つが、ブログだ。

ブログの大切さについては、いずれきちんと文面に起こすつもりだが、

自分のために書く。その過程でみんなとも、

この広い世界を共有できればいいなと。

そう思っているだけだ。

==========================

高慢な内容、 批判的、過激な表現、 稚拙な文体、

どうしようもないブログだけど、

そこで感じた共感、または違和感を、は必ずあるはずだ。

それをきちんと自分の言葉でぼくに伝えて欲しい。



感情を言語、論理という客観的な媒体に変換することが、コミュニケーションの最重要能力だと思うし、

そうすることが、もっとも人間らしい行動だと思う。(人間とは・・・を考えた結果。)



ただ単に、「おもしろい」「なるほど」や、

「ムカつく」「うざい」「キモイ」と感じる事は、

サルにだってできる。




人間なんだから、対話して欲しい。

この場では、おれと、対話して欲しい。

頼むわ。

No.174|Comment(0)Trackback()

もう大衆とかいうの飽きてきたなあ

2007/12/12(Wed)13:02





バブル崩壊までは、みんな一生懸命勉強した。

「未来は明るい。いい大学に入れば、それなりのバックは必ず帰ってくる。」

だから勉強しなくちゃ。と。

自立的、主体的な勉強精神が根付いていた。

(だから学生運動などが勃発した。)



それに比べ、崩壊後の、

今の人達は、「明日は今日よりいいはずだ」と思えない。

「お先真っ暗なこのご時世、勉強なんてしたって意味ないぜ。」

だから、目の前の快楽に興じる。


それは、社会の必然であり、時代の摂理だ。

しょうがない。




前者は、快楽の質を重視した功利主義的価値観。(J・Sミル)

しかし後者は、快楽の質を問わない。(ベンサム)

要するに、サルだ。




サル増発傾向は、時代、教育、文化、すべての要素が関わっている。

あまりに大きな流れのために、流れに抗うだけの意志を持つ、「人間」が激減した。

今後も、流れは留まる事無く、サルは一向に増え続けるだろう。



んにゃー

格差社会も、サルが増えたせいだと思う。

ボキは政府の一番の仕事は、金が一部の人間に集まらないようにすることだと思う。

だから現状の日本経済は最悪!!最も悪!!だと思いまふ。


例えば、

サルは大きく考えられないから、時代の要請そのままに「じゃあ一発儲けてやるか!!とばかりに株とか投資信託とかやりだす。

んで、たまたま当たって儲けちゃう。

それがホリエモンとか、ああいうサルの憧れです。

まず、なによりサルはお金が大好きですから。(おれはキライ)




もっとトータルに、「金ってなんじゃ?」とか考えられないと、

今後も格差は広まっていくんでないのかな。




人生そのものを考えることから目を背けるサルが、そのまま政治家になったりする(二世議員とか)から、今の日本は完全に衆愚政治です。

田中角栄みたいな、自分の腕一本でのし上がった人物はほとんどいないでしょ。

サルばっかり。




教育も、サル増産するのを止めないと、日本つぶれちゃうよ。

おれが教師だったら、紀伊国屋に生徒バラまいて、「さあ本よめ!!立ち読み最高!!」

そして、ツタヤいって「さあ映画と音楽を借りまくれ!!金は先生に任せろ!」

とかやるなあ。

その後に、「大衆決別ノート」を毎日書かせるんだ。

・・・・イイ先生だ・・・・。

(ちなみに、小学二年のころに家庭学習ノートを学年で一番書いたオレは、今でも8冊のノートが本棚にしまってあります。)





!!思考せよ思考せよ!!!

わたしはただただ警告をしているだけである。

おねげーだから思考して。出力して。



地方の恵まれない環境で、「灯油たけー。オラもう無理ダア。」とかいう可哀想な人もいるんです。(大通公園でデモやってた。シカトしちゃった。けど、こうして考えた。)

あんたら、時間も金もある。思考してや。遊んでねーでさ。サル。



まじでこーいう文章をチャチャっと思いつきで書けるぐらい思考してよねー。

No.170|Comment(0)Trackback()

宗教→プライド→fuck

2007/12/12(Wed)11:39




オウム真理教公式HP

創価学会公式HP


「宗教ってコワーイ。」

「あれって洗脳されているんでしょ??バイアスの塊でしょ???」

「ヒエー、わたし、宗教とは関わり無く生きていくわ。」


・・・・・って言っている人ほど、大衆という宗教に侵されています。



「宗教」というワードの意味が、

ある先導者がいて、多くの人に何かを思い込ませるもの。

だとしたら、大衆は、マスコミに先導(煽動)され「普通でいなさい」とバイアスを植え付けられている、信仰者です。

主体的に物事を考えられると思っていらっしゃるようですが、全て作られた思考回路の上に成り立っております。

なので、日本全国津々浦々、一番大きな宗教団体「マスコミュニケーション」の信仰者なんですね。

あんたらは政治家の餌食にされています。

さようなら。



・・・・・・え?

おれは大衆じゃあないって???

死に腐れ凡人!!!!てめえだ!!!!!

ったく、てめえは、「恥ずかしい」と感じる事はあるだろぉ???

それが大衆意識(バイアス)なんだヴォケ!!!



羞恥心を分解すると、「みんなと違う事をすれば、普通でなくなってしまう。コワイ。」という感情だということがわかります。

逸脱することを恐れている時点で、大衆になりたがっていますね。

だから「恥ずかしい」とか抜かすてめえは大衆だ!!!

悔しかったら、100円やるからパジャマで電車乗ってみろ!!!!!



「ぬぁにぃ!?出来るかこの下衆!!おれにはプライドがある。名誉がある。

お前のような下衆には成り下がりたくないね。少しは自重しろ。」



・・・・あああ〜〜〜〜。残念。いやおめでとう。見事に貴様は大衆です。

貴様の言うプライドって何ぞや??名誉ってなんぞ??

それらは単なる「自分は自分でいたい」というしがみつきですね。

うわ〜〜〜〜醜いなあ。

ダサッ!!!



プライドを持つということは、自分を限定するということです。

そんなバイアスがあったらなんにも出来ません。



名誉は、大衆の中でしか効果を発揮しませんね。

みんな(大衆)に認められたい、褒められたい。

それが名誉です。



名誉が欲しけりゃ、プライドを捨てろ。

大衆から逸脱したけりゃあ、理想の自分を目指せ。それも、全てのカテゴリにおいてな!!!!

まず、勉強して偉くなるんだ!!とか言っている輩に限って、ファッションがオジャジャです。

名誉が欲しいくせに、「大衆から決別する」という態度が一貫してませんね。



あと、芸術一般は敷居が高く、大衆とは対極に置かれているようなものですが、

「大衆から決別する」人は、もちろん芸術も嗜んでおかないとね!!!!

「オレはグッチ大好き!!!」とか言う輩に限って、浜崎あゆみとか聴いています。

全然一貫してない!!アホか!!!

ノイズぐらい聴いておけ!!マティスぐらい鑑賞しとけ!!!



んまーー、ということで、「アタシはこうこうこういうひとです。」って言っている時点で、全ての面で最強にはなれません。

プライド(自分)捨てないと、あんたは一生大衆ですわよ。





ハイ!!!文章がオジャジャだ!!推敲なんてせーへんもん。勝手に見るぶんにはいいけど、文句いうなよ!!

いや、やっぱ文句いえ!!!歓迎!!



注)ちなみにイボーカは、浜崎あゆみの曲は大好きです。youとか、loveとか。(うわ恥ずかしい!!)☜(大衆だ!!)







No.169|Comment(0)Trackback()

エクリチュール

2007/12/12(Wed)00:20


I can F L Y !!!!!!!!


イボヅカです。

ワインのソムリエが凡人に上質なワインを試飲させるような、困難な試みを続けている、

人生のソムリエ「イボヅカ」です。


今日も大衆へ向けて、上質なテクストを送ります。




大衆=サルのみなさんは、ぼくが「割と天才」ということを全く信じないでしょう。

(ファミコン人生のサルには、ブルーレイディスクは読み取れませんからね!!)




まあ、サルの前ではサルにならないと話が通じない、というのもありましょうが、

なにより、ロラン=バルトの「エクリチュール」という言説に当てはめて説明すれば、ぼくがオーラ無しの天才だということがおわかりになるかと思います。



「エクリチュール」とは、簡単に言えば、「第一人称」、「口調」のことです。

そして、それらがその人の人格を根本的に形成してしまうのです。



対話において、人は相手に合わせます。(教師の前と、友達の前では口調は異なる。)

そうすると、話す言葉が自分を形成してしまいます。

つまりーーーー、相手に合わせて会話することは、無意識に誰もが自然に行っていることであり、合わせた結果、その自分が本当の自分となってしまう、ということです。

(よくわからん!!)



エクリチュールを自在に操るぼくは、両親の前では子供を演じ、お金をふんだくります。

これはとても実利的で効率的な行為ですね!!上手いおれ!!!




なので、バイトのなっちゃんの前では「ふわふわホニャニャ」

ベースの向井の前では「切れやすいヤンキー」

中学の面々の前では「合コン大好きチャランポラン」

大学のモムカイの前では「うざいクソガキ」

になっていることでしょう。





ちなみに、イボヅカは、俯瞰の視座でイブカヒロキを眺める、新しい人格(エクリチュール)です。




ああ!メンドクサイよ書くのが!

No.168|Comment(0)Trackback()

myth of west highscool

2007/12/11(Tue)10:24




つづき・・・・

(さっきの記事を見てから読め!!)


この逸話は、西高の皆さんはご存知かも知れません・・・・・・・。

ぼくは大衆と同じ事をして成功するとはとても思えないたちなので、

ある日、担任のhyde(ラルク)に、「授業はクソです。もうやってられません。帰らせて下さい。毎回。」と言いに行きました。

すぐに了承するはずもなく、つかのまの激論が交わされたのですが、最終的に僕がカンペキに教師を論破し、

「井深特別措置法」が施行されました。




hydeはクラス全員に告げました。

「今日から井深は、授業中に急に帰ることがあるかもしれないが、あくまで勉強のために帰るんだ。わかってやれ。・・・お前らはだめだぞ。」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その日からは、もー勉強が楽しくて、すげーレベルアップしたんですが、

結局、前期試験はアジャパアという結果でした。

(後期はまぐれで受かったけどさ!!)





この神話が意味するところは、二つあります。



一つは、周りと同じことやっていてもらちあかんよ。

二つ目は、勉強は楽しくないとレベル上がらないよ。

三つ目は、努力しても報われないよ。




ということです。(三つだ!?!?・・・ウソつき!!)




この神話は、西高の体育館のステージ横に、大々的に掲示されて、後輩たちに伝承されています。

西高にお立ちよりの際は、是非。

■■■

No.167|Comment(5)Trackback()

努力????  バッカじゃない!!!!死ね!!

2007/12/11(Tue)09:23




努力 という言葉がキライでね。

盲目的に目の前の試練をこなしていくだけの辛い過程、というニュアンスが強いから。

それってロボットみたいじゃん。



目標にたどり着くためのショートカットは絶対にいくらでもある筈だし、それに気づくために「方法論を根本から問い直す」という行為を怠っているという点から見れば、「努力」はむしろ怠惰であると言えてしまう。

気づかないふりして前ばかり見ていても、進んだようで進んでいない。

前じゃなく、上からフラットな視点で自分を捉えないと、進んだかどうかなんてわからないだろ??

猪突猛進は、意味が無い。 怠惰だ。



よって、「努力した者は報われる」などというチープな言説は、現実性も理論性も実利性も無い。

((努力))せずして成功している人の方がよっぽど多い。





成功者は、それがどんな分野であれ、他と同じ方法は取っていない筈だ。

自分なりの経験則から導きだしたオリジナルメソッドを必ず持っている。

だから、「みんながやっているから、この方法は安心だ。確実だ。」などというのは、

大衆から逸脱し、成功者になろうとしている者が、奇しくも大衆に合わせているという矛盾した構図である。

本当に何かを成し遂げたいのなら、常に自分のやり方を客観視して、気づいた所からどんどん変えていかなければならない。

毎日、毎分、毎秒、「気づける」者だけが、成功できるのだと思う。





「継続は力なり???」マクロに言えば、妥当な言い回しだけど・・・

ミクロに言えば、既存の秩序に見切りをつける勇気を持たない者の言い訳にしか聞こえない。

常に秩序を破壊し、新しい秩序を受け入れていかなければ、自分はずっと変わらないのだから。

一生そのままです。

自分を捨てろ!!方法も捨てろ!!でないと、成功なんてしない。



現におれはドラムを「努力」なんてしたことは一度もない。

練習は毎回0からのスタートです。

それでもできちゃうんだ。「楽しい」からね。



今を楽しめない人は、未来も絶対に楽しめる筈がない。

No.166|Comment(8)Trackback()

孤独の発明

2007/12/10(Mon)23:36






哲学とは、人生の見直しです。

生きる目的を定め、全ての行動原理を根本から問い直し、シェイプアップすることです。

だから、学ぶと同時に、概念を自分の事として引き受けて行動に反映させないと、全く意味をなしません。

自分を変えねば、学ぶ意味がありません。




まあ、そんなこたあどうでもいいんですが、(良くないです!みんなやれ!!)





ぼくは小さい頃から、両親が働いているので、一人で家にいることが多かったんです。

今もそれは変わりませんが。



常に孤独とお友達でした。

だからずぅっと自分とおしゃべりしてました。

そうしたら、「ああ、ひろちゃんって本当にいるのかな?? ひろちゃんは実はゲームのキャラクターで、ホントのひろちゃんは火星にいて、(この世界)というゲームをやっているだけなんじゃないかな?」とか考えてました。

マセガキですね!!!!

小学5年生のときに発表した処女作、「人生はゲーム」という詩は、瞬く間にミリオンセラーを記録したんですが、

その内容は、まさにデカルトの懐疑主義を示唆したものでした。




その後も、小学6年生のときに風呂場で編み出した理論、

「ああ、おれってなんのために生きているんだろう・・・・あ!幸せになるためだ!!

っていうか、全ての行動の目的の果ては、全て「幸せ」に繋がってんじゃん!!」


の「幸せ理論」は、後の快楽志向の功利主義者、ジェレミ・ベンサムに引き継がれることとなります。








あー哲学者の素質は、孤独のおかげで生まれたのね。

ありがとうクソ親ども・・・・・・。







No.165|Comment(0)Trackback()

感動なんですねえ

2007/12/08(Sat)23:39

感動において必要になるのが、知識だ。

自分の中に、既成観念がなければ、共感も批判もできないから。


だが、感動それ自体が、知識を増やすことに繋がる。

なぜなら、ハッとするという体験(感動)は、知識と知識が結びつき、結合した地点から脳内のシナプスが網の目状に広がる瞬間であるからだ。

ということは、ひとたび知識を獲得すれば、そこから雪崩のように知識が増えるということだ。

感動しつつ知識も増える。最強の連鎖ですな。



知識の獲得方法として有用的なのが、クロスリファレンスという手法である。

簡単に言えば、「尊敬する作家が尊敬している人物を調べる」という方法だ。



まずはスナオに尊敬できる人になりましょう。

そして、言う事を全部ききましょう。

「そんなん批判もできない主体性のないサルじゃ!!」

と言うかもしれませんが、

どんなに頑張って意識を移行させても、やはり自分は自分なのです。

絶対に自己の価値観との齟齬はその過程で生じるので、

批判的な意識は必ず芽生えます。

だから、イタコのようにヒョウイするなんて、イタコしかできませんので、

安心して尊敬する人物の視点に立ちましょうね。


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ママ、僕なんのために生きとるん??

2007/12/08(Sat)23:18

「なんのために生きるのか。」

多くの人はたぶん簡単には答えられない、抽象的で大きな問いだ。

しかし、僕は容易に答える事ができる。

「ハイ!!感動するためでしゅ!!えへへ^^」と。



「人生一生感動」
         〜相田みつを






◎感動とは

①他者、芸術、自然に触れ、自らの根源的な要素がドラスティックに改変、更新される体験。
②理想の自分にたどり着いたときの、達成感。

の二つである。







①に関して。

他者とは、尊敬する憧れの人物を指す。
芸術とは、様々な文化を指す。
自然とは、五感を刺激する物体を指す。

それらを享受するために必須の条件として、「自分でいる」ことから決別しなくてはならない。
なぜなら、主観的に感じることをやめ、外部のモノへ視点を依拠しなければ、そこにあるはずの感動に共鳴できないからである。
つまり、意識を移動することによって初めて、自らが更新されるのだ。

この行動のメリットとして、共感能力、情緒が高まる。なので、②の自分を高めている行為とも言える。


②に関して。

自己実現欲求のことである。

これも同様に、「自分でいる」ことをやめなければ、一向に達成し得ない。
「自分」を客観的に眺め、理想像へ導いてやる。
そうして実現したときに得られた感動は、格別のものとなる。




そうした感動を毎日のように経験している人間は、有意義で充実した毎日を送っているまぎれもない「人間」だと言う事が出来るだろう。

そして、その二つに共通して言える条件が、「自分でいる」ことをやめる、という考え方である。

しかし、その方法を実行するためには、心にゆとりを持つ必要がある。

それは、モチベーションを保つとも言い換えられる。



◎モチべーション

自分(主観)を離れるためには、モチベーションを維持する必要がある。
そのためにはまず、「不安」「孤独」「怠惰」「煩悩」を払拭することが先決だ。しかし、それは至難の業である。



マズローの欲求段階説では、下位の欲求から順に、生理欲求(煩悩)、安全欲求、帰属欲求、認知欲求、自己実現欲求となっている。
先の払拭すべき欲求をこの言説に照らし合わせ、下から順に満たしていけば、モチベーションは高められ、やっと自己実現欲求のための行動が取れるようになる。



ここで、それらの下位の欲求を満たすことをくれぐれも目的としてはならない。

あくまでも自己実現欲求のために「心の衛生を保つ」行為なのだから。

ここで、「心の衛生を保つ行為」を①の行動としてしまえば、いつも感動し、

常に②の行動に専念することができることになる。





金も人脈も時間も余裕のある人間は、心にゆとりがあり、自信に満ちあふれている。

そうなりたいのなら、そうなるように行動すればよい。

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便利→ずるい

2007/12/08(Sat)13:47

便利という言葉は、時間を短縮できるという意味です。

自分の性能をUPさせ、人生を便利に生きるための最良の方法が、哲学です。

僕は便利な人間になりたい・・・。winよりmacになりたい。




便利を追求する上で、邪魔なバイアスの一つが、「ずるい」です。

ずるい(狡猾)という言葉は、ぼくの中では全く意味をもちません。

バイアスです。

むしろ、「上手い」と言う方がよろしい。





バイアス編

「セックスしよう。」

「まだお互い理解しあってないし・・・」

こういう女は大衆意識MAXです。ファック。

便利に生きれません。さようなら。




実利編

「セックスしよう。」

「2万円。」

いいね!!バイアスの無い功利主義者です!!好き!!



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